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最高裁判所第三小法廷 平成5年(行ツ)38号 判決

上告人

加藤茂喜

右訴訟代理人弁護士

浅井岩根

浦田乾道

被上告人

東京都知事

青島幸男

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人浅井岩根、同浦田乾道の上告理由について

上告人は、東京都に主たる事務所を有するワールドマリン株式会社又はこれと同視することができる外国法人レオニス・ナビゲーション・カンパニー・リミテッドが新興丸の船舶所有者であり、上告人は、これに使用されることによって船員保険の被保険者資格を取得したと主張して、被上告人に対しその確認を請求した(以下「本件確認請求」という。)ものであるところ、原審は、上告人は、イヨ・コーサン(パナマ)S・Aとの間で雇入契約を締結して新興丸に乗船したものであるから、ワールドマリン又はレオニスが船員保険法(以下「法」という。)一七条所定の船舶所有者に当たるとみることはできないとして、これと同旨の判断の下に本件確認請求を却下した被上告人の処分に違法の点はないとした。原審の右認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。

論旨は、右雇入契約の当事者となったイヨ・コーサンの法人格が全くの形骸にすぎず、新興丸を所有する株式会社海栄社は、法の適用を回避する目的をもって、イヨ・コーサンに新興丸を貸し渡した上で、上告人を雇い入れさせたものであって、法の適用上は、イヨ・コーサンの法人格を否認し、海栄社が法一七条にいう船舶所有者に当たるものとみるべきであるとも主張する。しかし、仮に、上告人が海栄社に使用されることによって船員保険の被保険者資格を取得したものとみる余地があるとしても、その確認の権限を有するのは海栄社の主たる事務所が所在する兵庫県の知事であって(法一九条ノ二、同二一条ノ五、船員保険法施行令三条一項)、被上告人には、その確認の権限がないことが明らかである(なお、この場合に本件確認請求を兵庫県知事に移送する措置を執る義務があると解する根拠もない。)。

したがって、被上告人が本件確認請求を却下した処分を違法ということはできず、これと同旨の原審の判断は、結論において是認することができる。論旨は、以上と異なる見解に立って原判決を非難するか、原審の結論に影響のない事項についての違法をいうに帰し、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官園部逸夫の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

裁判官園部逸夫の補足意見は、次のとおりである。

私は、被上告人が本件確認請求を却下した処分を違法ということができないとする法廷意見に同調するものであるが、この際、日本船舶が我が国に住所を有しない外国法人に貸し渡された場合に、その外国法人によって雇い入れられて右日本船舶に乗船する船員に対する船員保険法の適用に関して、補足して意見を述べておきたい。

船員保険は、社会保障制度の一環として政府が管掌する強制適用保険であり、保険給付に要する費用は、その一部を国庫が負担するが(法五八条)、その大部分は被保険者たる船員及び船舶所有者が負担するものとされ(法六〇条)、船舶所有者は、その使用する船員が負担する保険料についても納付義務を負うものとされている(法六一条)。船員保険が船舶所有者の負担又は納付する保険料を主たる財源とする拠出制の災害補償保険制度である性質上、我が国の強制徴収権が及ばない日本に住所を有しない外国法人に使用されている船員については、船員保険の被保険者資格を認めることはできないものといわざるを得ない。そして、日本船舶が外国法人に貸し渡された場合においては、法一七条にいう船舶所有者となり得る者は、船舶借入人である右外国法人にほかならないから、右外国法人に雇い入れられて船舶に乗り組む船員には、船員保険の被保険者資格を認めることはできない。

しかしながら、右外国法人の法人格が全くの形骸にすぎず、船舶の所有者である日本法人が船舶を外国法人に貸し渡し、外国法人の名をもって船員の雇入れがされた目的が法の適用を回避することにあると認められる場合には、法の適用上、右外国法人の法人格を否認し、その背後にあって船舶の運航を実質上支配している日本法人をもって法一七条にいう船舶所有者に当たるものと認めて、法を適用する余地があるものと考える。すなわち、船舶を日本法人から裸用船した外国法人がその配乗権をもって外国人船員を雇い入れた後、船舶の所有者である日本法人又はその関連会社が再び右船舶を定期用船して運航するというような運航形態が採られることがあり、これは、日本船舶における外国人船員の使用を可能にして日本船舶の国際競争力を維持するという社会経済的必要性に基づくものであるものといえるが、右のような運航形態を採って外国法人が日本人船員を雇い入れるについてはその必要性を認めることはできない。そうすると、船舶借入人である外国法人が、船舶の所有者である日本法人とその役員をおおむね共通にし、しかも事務所等の社会経済的活動の拠点となる人的物的施設を持たないなど社会的実体を欠くものである場合において、船員に対する災害補償責任を担保するための措置も執らないまま日本人船員との間で雇入契約を締結しているようなときは、右のような運航形態の下に外国法人の名をもって日本人船員の雇入れがされた目的は、特段の事情のない限り、法の適用を回避することにあるものとして、法の適用上は、右外国法人の法人格を否認し、右日本法人をもって法一七条にいう船舶所有者に当たるものと認めるのが相当である。このように解することが、強制適用保険である船員保険を実効あらしめるゆえんであると考える。

(裁判長裁判官尾崎行信 裁判官園部逸夫 裁判官可部恒雄 裁判官大野正男 裁判官千種秀夫)

上告代理人浅井岩根、同浦田乾道の上告理由

控訴審判決は、一審判決に付加する形で理由を述べているので、上告理由は控訴理由を前提としてこれを援用し必要に応じて再論または補充する。

一 船舶所有者と強制徴収権確保について

1 原審判決は、「船舶所有者に対して保険者である我が国政府の強制徴収権が及ばない場合には、制度の適用を拒否せざるを得ない」とし、「本件において船員法上の船舶所有者となり得る者はイヨ・コーサンであるところ、イヨ・コーサンはパナマに住所を有する外国法人で、国内に住所を有しないから、原告は船員保険法上の被保険者資格を有しないといわざるを得ない。」との結論を下している。

2 しかしイヨ・コーサンは、いわゆるペーパー・カンパニーであって、原審判決のいうような実体や事実や現実は何もない。のみならず、イヨ・コーサンは、レオニスと同様に、マルシップとして、各種法規制のせん脱を目的として設立され、運営されたもので、その一つとして船員保険法上の「船舶所有者」としての責任を免れるための形式上の存在に過ぎない。

このように法規制のせん脱を目的として設立され、運営され、行為した実体のないイヨ・コーサンを「船舶所有者」と認定するのは、事実認定の誤りであると同時に、船員保険法の解釈・適用の誤りであり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。イヨ・コーサンのようなペーパー・カンパニーが社会的実体のない存在であることは、いわば公知の事実であって、これに反する認定をするためにはイヨ・コーサンが例外的に社会的実体のある存在であることが証拠によって証明されなければならないにもかかわらず、本件においてそのような証拠は何もないといわなければならない。

3 本件での船舶所有者は、これまで詳細に主張してきたとおり、実態を直視してそのカラクリを見抜けば、明らかにワールドマリンまたは海栄社であり、これに政府の強制徴収権が及ぶことも明らかである。原審判決は関係者の作った脱法的カラクリを追認し、そのカラクリを前提に形式論理を展開し、結局関係者の意図した脱法的結果、すなわち日本人である船員が等しく享受し得べき船員保険法上の保護を剥奪する結論を導いてしまったのである。

二 雇入契約の締結を基準とすることについて

1 原審判決は、「船員たる身分の取得及び船員保険の適用について原則として雇入契約の締結を基準とするとの現行法の解釈を変更することはできない。」とし、上告人につきイヨ・コーサンとの間の雇入契約の公認がなされていたことからみて、イヨ・コーサンと上告人との間で雇入契約が締結され、雇用関係が形成されていたものと推認されるのであるとしている。

2 しかし雇入契約の「締結」というからには、いつ、誰が、どこで契約締結行為をしたかの事実認定が不可欠であるところ、この事実認定は全くなされないまま、単に雇入契約の「公認」から「締結」を推認するに止まっているのである。もともとイヨ・コーサンに社会的実体がないばかりか、そもそも雇入契約などというものに社会的実体のないことを看過しているといわざるを得ない。このような社会的実体の伴わない「雇入契約」なるものを基準として船員保険の適用を判断した原審判決には、船員保険法の解釈・適用の誤りがあり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

三 イヨ・コーサンの雇用者性について

1 原審判決は、

① 「イヨ・コーサンが船舶賃借人であったのであるから、運航についての支配権及び船員に対する指揮監督権はイヨ・コーサンにあったものといわなければならない。」「本来の船員の海上労働関係においては、その特殊性から船舶所有者等が指揮監督権を有する使用者となり、派遣元は指揮監督権を持つものではないと解さざるを得ず、現に前述のとおり原告との関係においてもイヨ・コーサンが指揮監督権を有したのである。」

② 「レオニスが原告に対する賃金支払義務負担者であったとすること自体認め難い。」「レオニスは、イヨ・コーサンとの間の契約に基づいて賃金相当額を含む金員の供給を受ける立場にあり、少なくとも原告に対する賃金の出捐についての実質的な負担者ではなかったことが明らかである。そして、前述のとおり雇入契約がイヨ・コーサンとの間に存在したのであるから、原告に対する賃金支払義務負担者はレオニスではなく、むしろイヨ・コーサンであると解する方が自然である。」

③ 「船員法が船舶所有者に災害補償責任を認めている実質的根拠は、船員が生計を立てるために災害の危険を内在する企業に雇用される一方、船舶所有者が船員を自己の支配下に置き、その労働力によって利益を得ていることから、労働災害が発生した場合には、船舶所有者の支配領域内での危険の顕在化として、船員に生じた損害を補償すべきものとするところにあると解される。本件において、危険領域たる船舶とその運航の組織体を支配しているのは、船舶賃借人たるイヨ・コーサンであり、また、新興丸の運航による利益の帰属するところもイヨ・コーサンであって、レオニスではないというべきであるから、右のような実質的根拠から考えても原告の右の主張は理由がない。」

とする。すなわち上告人に対する指揮監督権、賃金支払義務負担及び災害補償責任からイヨ・コーサンの雇用者性を認定している。

2 しかしイヨ・コーサンが上告人を指揮監督していた実体は何もなく、賃金支払義務を負担してこれを支払っていたのは(レオニス=)ワールドマリンであり、船員法上の災害補償責任を実際に果たしたのも(レオニス=)ワールドマリンであった。また雇用契約の本質は、労働の提供に対してその対価たる賃金を支払うところにあり、その他の権利義務は付随的なものである。雇用者の概念は法的なものであり、たとえ(レオニス=)ワールドマリンの支払う賃金の源がイヨ・コーサンの負担になっていようとも、これを賃金支払義務負担者として雇用者と認定し、船舶所有者と判断することには船員保険法の解釈・適用の誤りがあり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

四 審理不尽について

上告人は、イヨ・コーサンがペーパーカンパニーであることや、本件のような場合における船舶所有者の認定について、広島商船高等専門学校助教授・武城正長氏、啓愛海運株式会社代表取締役・石原国後氏及び海栄社グループ更生管財人弁護士・大白勝氏の証人申請をしたが、原審判決はこれをことごとく却下し、イヨ・コーサンに社会的実体の存在することを前提として誤った船舶所有者の認定をなし、船員保険法の解釈・適用の誤りを犯してしまったものである。

五 被保険者資格の確認権限について

1 原審判決は、「被保険者資格の確認を請求しようとする者は、船舶所有者の住所地の知事に対してこれを行うことが必要であり、船員保険が政府の管掌に係るからといって、どの都道府県知事に請求してもよいというわけではない。」「仮に海栄社が船舶所有者であり、同社に使用されたことにより被保険者資格を取得したというのであれば、兵庫県知事に対して確認請求すべきこととなり、その反面、被控訴人については、右被保険者資格の確認をすべき権限も義務もないことは明らかである。」「このような場合……において、原処分庁の権限に属さない事項についてまで審理の対象としてその処分の適否を判断することが許されないことはいうまでもない。」と判示する。

2 この点については、控訴人平成四年九月四日付準備書面第二項で述べたとおりであり、原審判決には船員保険法の解釈・適用を誤っており、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

以上のとおり、原審判決には法令の解釈・適用の誤りがあり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、破棄を免れないものというべきである。

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